サッチャー英元首相の「ミルク泥棒」の経験から日本が学べる事

私は今までに何度か日本経済のの長期的な課題(成長や日本全体の生産性)について 講座などでやFacebookライブなどでお話ししてきました。

そういいったお話をすると、日本はどうすれば変わるのか、もう変われないのではないか、とご質問をいただくことがあります。

どうすれば良いのでしょう。日本がこれから国際競争力を高め経済のポテンシャルを発揮するには大きな改革が必要だというのは、多くの人が既に認識されているかと思います。少なくとも、「何かが変わらなければならない」ということを感じている人は少なくないと思います。

しかし「大きな改革」というのは実際に実行されているのでしょうか。これまで現政権下で数年にわたって大きな規模の経済対策が行われてきました。そこでの経済政策は、主に政府の支出を増やして景気を良くすることを期待する財政政策や、日本銀行による金融政策といったこと主なものでした。財政政策や金融政策というのは本来は不況の時に一時的に政府が経済を助けるというもので、 今ある産業を助けたりする目的もあります。

他方、「大きな改革」というのは今の社会で既得権益を得ている人(つまり現在の社会のシステムによって何らかの恩恵を得ている人)にとっては特権が失われたりして短期的に不利になってしまうものです。

しかし、そういった既得権益を持っている人にメスを入れることなく大きな改革を実行することはできないのです。現政権による経済政策によってどこかに大きなメスを入れられたということがあったでしょうか。あまり無かったのではないかと思います。

歴史を見ると、1980年代に大胆な改革を行いイギリス経済を蘇らせたサッチャー首相が断交した改革では一部の人への大きな痛みを伴い、強い反感もありました。

当時のイギリスでは、政府が高福祉の社会保障政策「ゆりかごから墓場まで(人々が産まれてから生涯を閉じるまでの間、政府が面倒を見続けるという政策)」を実施して財政状況が悪くなっていて、イギリスの国際競争力が低くなり経済も停滞していました。

そこで、サッチャーは規制緩和や予算削減などの「サッチャリズム」と呼ばれる改革を断行しました。

この改革は、当時のイギリスで規制に守られいた業界や、政府からの高福祉政策で恩恵を得ていた多くの国民には大変な痛みを伴うものでした。当然、国内では反発にもあいました。教育関連予算を削減する必要に迫られたサッチャーは、学校における牛乳の無償配給の廃止を決定し、特に子供を持つ母親層から毛嫌いされ「Margaret Thatcher, Milk Snatcher(ミルク泥棒のサッチャー)」などと毛嫌いされたものです。

では、今の日本は、どのようにして「大きな改革」を断行することができるでしょうか。その第一歩は、日本人の多くが正しい情報を持って主体的に考えることです。そうしないと、現在の日本の政策を仕切っている政治家や政権に主導権を取られてしまい、残念ながら、私たちがこれまで何年もの間見てきたように、彼らが本当に日本に必要な改革を行うわけではないのです。