前近代的に見えることが、実は21世紀型のサステイナブルな生き方につながっている

少し前に、遠出しようと、私が住むヨルダンの首都アンマンから車で40分くらい離れたリゾートに行ってきました。その途中、小さな田舎町を通りました。その小さな町は、ヨルダンの中でも保守的な地域のようで、テクノロジーがあまり発達していないなかで伝統的な生活様式を保っているようでした。住人はほぼ100%が、先祖の代からそこに住んでいるヨルダン人で、主要産業は農耕や牧畜だと思います。

その町の目抜き通りを車で通り抜けながら、非常に面白い光景を見ました。

それは、道端のあちこちの商店の軒先に、高さ2メートルくらいの大きな鳥かごがあって、たくさんのニワトリが入っている、という光景でした。

何かと思って尋ねてみたら、その町では、鶏肉を食べたい場合には、ニワトリを買ってきて自宅ででさばいて調理するのだ、ということでした。

また、お肉屋さんでは、自分たちで牛や羊などをさばくらしく、骨のついた牛の足の大きな塊りや頭部が店の軒先にぶら下がっていました。

日本やヨーロッパなどの先進国でも、かつては、お肉はそんな風にして売られていたのと思います。今は、お肉は大量生産されて、工場できれいにパック詰めされてお店に並びます。

では、そのヨルダンの田舎町の人達がしているのは、前近代的で野蛮なことなのでしょうか。

私はそうは思わず、 実は本来あるべき姿で、21世紀にふさわしいサステイナブルなあり方だと思いました。

なぜそう思うかと、実際に自分が行う行為がもたらすもの(つまり、私たちが肉を食べるには、動物の命を奪わなければいけないということ)を可視化でき、より責任を持ちながら生きているからです。

肉食や食べ残しは、環境破壊や温暖化の要因になっています。

家畜の生産には、餌となる飼料や多量の水、広い土地を必要とするほか、メタンをはじめとする温室効果ガスを多く排出することから、地球環境に与える大きな負荷が問題となっています。

鳥や牛や羊などの家畜を生産するには、餌となるトウモロコシや草を栽培するのに多量の水を必要とます。また、ブラジルなどの熱帯雨林が減り続けている原因の一つは、肉の生産のために土地が必要とされていることでもあります。また、家畜がメタンなどの温室効果ガスを排出することも地球環境に大きな負荷をかけています。

そして、そのようにして作られた肉も、食べ残しで、世界中でおびただしい量が廃棄されています。

現在中所得層の国では現在豆などの植物性たんぱく質が多く消費されていますが、これから21世紀中盤にかけて、そういった人たちが段々とお金持ちになるにつれて、肉も多く消費するようになります。

私も肉を食べますので、肉を食べるという行為を非難するつもりはありません。

私がここで書きたいのは、その町で見た光景があまりにも強烈で、私の「肉を買って食べる」という行為から抜けていたこと(つまり、動物の命を奪った上に環境破壊にもつながっているということ)を省みることになった、という経験です。

私が買うお肉は、都市部のこぎれいなスーパーでパックに入って陳列されているお肉、あるいはレストランで出されるお肉です。牛は特にメタン排出量が多く温暖化をもたらしやすいとは知っていつつも、牛ならではの美味しい料理もたくさんあり、また、息子が肉類では牛肉しか食べないため、牛肉を買って料理することもしばしばです。

しかし、仮に私がそのヨルダンの田舎町のような環境に住んでいれば、肉を食べるには、生きている鶏を買ってこなければなりません。自分の美食欲を満たすために、目の前にいる動物の命を奪うという行為は、自分では出来ないと思います。そうしますと、私は、肉の消費を相当減らすかベジタリアンになる選択をすると思います。

都市部に住んでベジタリアンやヴィーガンになる勇気も無い私ですが、ささやかながら出来ることはあります。

それは、例えばこんなことです。

1)より良い環境で飼育された肉類を食べること(家畜はいずれは屠殺される運命にありますが、それでも、放し飼いされた家畜動物と、工場ですし詰めにされ一生を終える家畜動物とでは、生活の質は各段の違いで、後者の動物たちは少しの間でもより良い生命を生きていた、ということになります。)

2)豆類などの植物性たんぱく質をより多く食べること、 天然魚を買う場合はサステイナブルな形で漁獲されたものを買うこと

3)より環境に配慮して家畜生産が行われている(と思われる)国の製品を買うこと(なので、私はヨルダンで多くみられる「ブラジル産牛肉」ではなく「ニュージーランド産」を買うようにしています。)

そういった肉・魚はどうしても価格が高くなるので、そもそも肉を自宅で調理することも減りました。

なお、私の夫がアフリカのザンビアに仕事で行った際、経済活動視察の一環で地元の養鶏場に行き(ザンビアでは、Live Stockと呼ばれる「家畜生産」が主要輸出産業の一つです)、飼育されている鶏の過酷な環境や屠殺される場面を見て以来、卵を買う時にはなるべくフリーレンジ(放し飼い)のものを買うようになりました。フリーレンジの鶏は、短い一生ながら、より倫理的な環境で生きられるからです。

このように、先進国ではできない経験ができるというのも、こういった国に住むことの恩恵の一つです。

それでは。